当アカデミーのサイトを見ている方でブラジリアン柔術を知らない方はいないと思いますが、ブラジリアン柔術のヒストリーについて知っている方は少ないのではないでしょうか。
今回は簡単ですがブラジリアン柔術の歴史について紹介したいと思います。

ブラジリアン柔術は1914年にプラジルへ渡った講道館柔道の前田光世 (通称コンデ・コマ) が地元の有力者だったグレイシー家の長男カーロス・グレイシーらに指導したことから始まります。元々は日本の柔道がベースになっています。(といっても現在の柔道と当時の柔道は随分、異なります)
その技術をカーロスがエリオ・グレイシーら弟たちに伝え、さらにエリオたちが技術改良を加え独自発展させたものです。創始者の名前から「グレイシー柔術」とも呼ばれています。

グレイシー柔術とブラジリアン柔術

グレイシー柔術が一躍注目を集めたのは、1993年にアメリカで開催れた格闘技イベント『第一回アルティメット大会 (Ultimate Fighting Championship :UFC) 』です。
UFCは当時「目潰し」「噛み付き」「金的攻撃」以外は何をやっても良いという、まさに「何でもあり(Vale Tudo)」で、 現在の格闘技イベントでは考えられないルールで行われていました。
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大会には、その注目度から多彩なバックボーンを持つ選手たちが出場しました。ボクサー、空手家、レスリング選手、柔道家などの屈強な男たちの中で、グレイシー一族から出場したホイス・グレイシーは線が細く貧弱に見ましたが、実際に試合が始まるとその印象は一変します。その場の観客だけでなく世界の格闘家たちが言葉を失った瞬間でした。

ホイス・グレイシーは、屈強な猛者たちを磨きぬかれた技術で圧倒し、ほぼ無傷でトーナメントを勝ち上がり優勝しました。ホイスの活躍により、「グレイシー一族」の名前と「プラジリアン柔術」は世界の注目を集めることになったのです。
第一回のアルティメット大会からかなり時間が経過しましたが、ブラジリアン柔術の有効性・実践性は、現在の総合格闘技(Mixed Martial Arts:MMA)においてもその技術が元になった部分が多いことからも証明されています。